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東西両医学の分岐点は解剖と顕微鏡

紀元前1,000年以上前から十干十二支が取り入れられ、さらに陰陽五行の理論により作り上げられた医療哲理が伝統中医学である。気、血、水(津)を原理とした体液説と云える。
一方ギリシャのヒポクラテスから伝わるローマのガレノスは、血液、胆汁、プネウマ(気)を健康の要素と考えた。つまり当時の医学は東西ともに体液説で共通していた。その後ルネッサンス以来ヨーロッパでは決定的な違いを発展させた。
16世紀のベルギー人ヴェサリウスがその一人である。ルーヴァン大学(筆者も同大学に留学'73~'75滞在)からパリ大学にうつり、医学を学ぶにつれローマ時代のガレノスの体液説に疑問を持つに至った。パリのセントイノセント墓地で毎晩のように人体の骨をあさり解剖学を研究したといわれる。

17世紀のイギリス人ロバート・フック(自然哲学者、建築家、博物学者)は『顕微鏡図譜』を表し、生体の最小単位を "cell"(細胞)と名付けた。
いわゆる肉眼レベルの分析学からミクロの顕微鏡レベルへと探求が進んでいった。自然科学の発達が光学から電子レベルに及ぶと顕微鏡も電子顕微鏡の時代となりさらに、遺伝子レベルの解析へと発展した。一方では生理学、生化学、物理学、遺伝子工学など先端の自然科学が総動員された現在の西洋医学が形成された。

顕微鏡図譜と当時の顕微鏡(ロバートフック)

ヴェサリウス顕微鏡図譜と当時の顕微鏡(ロバートフック)

西洋医療